山の子

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2011年 04月 23日

その32 <野の花>

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                                       つづく





山の子の中で何度も描いてきたことですが、
この世界は、人間を含めた生き物達のせめぎあいの場所です。
人間は、自分達が豊かに幸せに生きるために努力をするし、
他の生き物達は、我が子孫繁栄という本能に忠実に生きている。
動物も、昆虫も、植物も、菌類も、
<自分達が良ければ>
というエゴ丸出しで、ぶつかり合っているのが、この世界だと思います。

ですから、
TVや雑誌で見かける「自然と共存した里山」というのは、
人間にとっては都合の良い共存状態であっても、動物や植物にしてみたら迷惑千万なことも多いはず。
漫画に描いたように、我が里山では、
淡竹の竹林を皆伐して地面の日当たりが良くなると、数年後にシュンランが顔を出して私と夫を喜ばせましたが
さて、淡竹にしてみれば、どうだったのか。

と言うわけで、
里山賛美のTV番組や雑誌の記事を目にするたびに、
奇麗ごと過ぎる
とストレスのたまる私です。
逆に、
人間ばかりが自然を破壊し、迷惑をかけている
という考え方も、ナイーブ過ぎると感じます。

エゴとエゴがぶつかり合い、傷つけあうのがこの世界。
完全な悪人はいませんし、100パーセントの善人もいない。
生きるためには、他の生き物の命を奪わねばならないように、
誰もが誰かを傷つけ、誰かに傷つけられているのが、共存ということなのでしょう。

国土の69パーセントもの山林を持つこの日本。
他の先進国に比べて、山は圧倒的に身近にあります。
その山を利用しないで、
他の国から山菜やらキノコやら、木材やら、農作物やらを輸入し続けるのは空しい話です。

かといって、利用すれば自然を確実に傷つける。

自然の利用と自然破壊の間に、どう折り合いをつけるのか。

農家や林家は、常にこの痛みと向き合っていると思います。
通いで里山の手入れをしている私ごときでも、この痛みをビシビシと感じます。
それでも、
そこにある山を、ただ「綺麗だな」「自然は良いな」と眺めているのではなく
利用しなくては。
この痛みを引き受けて、食べ物や生活の材料を得なくては、と思う。
国土の69パーセントもの山が、あるのだから。





・・・・・ただ、こういうことに痛みを感じるのは、「自然と人間が対等だ」という考えから来る
とてもとてもアジア的な発想なんだろうな
と思います。
自然とは人間が管理するもの、守ってやるもので、
「対等では無い」
という考え方の国や地域も多いでしょうから。





さて、これから我が里山は草刈りの季節。
私のエゴで、
食べ頃を過ぎて葉っぱになってしまったワラビや、しつこく出て来る竹をバンバンと刈っていくことにしましょうか。
私は善人であるし、悪人でもある。
里山の動植物達も、悪人であり、善人であるのです。





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by t-haruno-2 | 2011-04-23 16:29


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