2011年 09月 27日

その36 <いつか山にかえる日>

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                                       つづく





山間部でのイノシシ、鹿、猿などなどによる農作物への被害の甚大さを知っているので
私は野生動物を可愛いとは、針の先ほども思いません。
里山で動物に会えばムッとしてにらみつけ、石を投げて追い払いたい
と思う。

でも、
好きではないけれども、彼らのことを私は尊敬しています。

あの山の中で、多くの動物は一人で生き、一人で死んでいく。
群れで生きる動物だとて
歳をとったり病気になれば、群れを離れ孤独に生き、死んでいきます。
そして静かに土にかえる。

その孤独さと潔さに、人間の私がかなうはずがありません。



去年(2010年)から今年(2011年)にかけての冬は、久しぶりの寒い冬でした。
香川県でさえ、何度も積雪があり
平野部でも10センチ以上も積もった日がありました。
平野部での10センチ以上の積雪なんて、私にとっては小学生低学年の時以来の大雪です。
山間部では、もちろんもっともっと積もっていたことでしょう。

そんな寒い冬、
人間は暖房を強くしたり、厚着をしたりでしのげますが
野生動物達は、身ひとつで耐えている。

めったに無い積雪の山の中で、ただただうずくまって寒さに耐えている動物達を思うと
変かもしれませんが
私は、非常に厳粛な気持ちになります。
寒さに耐えられなかった多くのものは、あの冬を越せなかったことでしょう。
そして土にかえり、山にかえっていったことでしょう。



里山に通い、季節の移り変わりを何度も目にしていると
そういう自然でシンプルな生涯の終え方が、
とても尊いものに思えてきます。

土にかえり、大地の一部となり、
木々を茂らせ、生き物達を養い、
皮膚のかけら、細胞の一個までもがこの世界のものとなる。

そのような生き方(つまりは生涯の終え方)にあこがれるのは、おそらく私だけではないでしょう。
山に生きてきた林ばあちゃんは、きっとなおさらのことと思います。





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by t-haruno-2 | 2011-09-27 16:42 | Comments(6)
Commented by いちしんふたば at 2011-09-28 17:26 x
おいしそうなおはぎですね。
うちの山は萩が咲き始めています。

おはぎ食べたーい。

甘すぎない田舎風のおはぎが食べたいです。

自分の身体を物質は循環していて
山で採れたもの町で買ったもの両方
身体の中に入ってくるし、
身体を出て行くものは川に流れたり
処理施設で分解されたりします。
何年かで身体の物質はほとんど入れ替わると
何かで読んだと思います。
記憶や人間性も入れ替わるでしょうか。

生きながら、その循環の何割かが
大きな自然の循環のなかにあることを
望みます。
死ぬのはその最後の仕上げかも。

お骨以外の灰は他人の灰と混ぜられて
どこかに捨てられるのでしょうか。

自分の身体の中にも汚染物質が
蓄積されているので土に還してもいいものか
多少気になります。
汚れきっていなければいいが・・・

インド人は汚れていようが何しようが
すべてはガンジスに戻ってゆくといいます。
汚染物質でさえ循環の中にある。

自分が土に返りたい土地を見つけられる
だけでも幸せだと思います。
(多分、自分はわずかばかり若くてまだ身につまされないです。)
Commented by sakko at 2011-09-29 07:27 x
秋も深まってまいりました。
林ばあちゃんの年齢に近い?私が上かな?
う~~ん、身近な問題です。
私がお嫁に来て暫くはまだ土葬でした。
この間テレビで(どこの国か忘れましたが)鳥葬が放映されていました。
自然の恵みを受けて生きてきたのだから
死後は自然に帰すと。大きな鳥達が肉を競ってたべていました。
私は土地が有れば土葬もいいなと思うのですが・・・。
最近家族葬などが流行ってきて私の地域も
大きく変わってきました
Commented by t-haruno-2 at 2011-09-29 19:38
>いちしんふたばさん
ああ。確かにそうかもしれません。
ここの土になりたい、と思える場所があるのは幸せかも。
とはいえ、人の土地だったり公共の土地だったりすると散骨もできないし、
土にかえるって難しいですね。今の日本じゃ。
インドはまだまだすごく鷹揚ですね。
藤原新也さんの「印度放浪」に、そのガンジス河に流された遺体が川岸に流れ着いて、野良犬に食べられている写真が載っていましたっけ。
「人は犬に食べられるくらい自由だ」
という意味のキャプションが付いていましたが
当時、大学生だった私には、その意味するところがピンときませんでした。
今は、すごくよくわかります。
確かに、今のこの国には、そんな自由は無いですよね。

お骨以外の灰はどうなるのかしら?????
と、私もずっと疑問に思っています。
どこかに埋められるのなら
せめてその灰は、大地にかえれるかな。
でも、そうか、身体も汚染されてるんですね。色んなものを食べていますから・・・・・。
Commented by t-haruno-2 at 2011-09-29 20:49
>sakkoさん
いつの間にか全国津々浦々まで、火葬が当たり前になってしまいましたね。
沖縄や与論島に、少しその風習が残るくらい・・・・・?
本当に、自由に出来るスペースがあれば、土葬OKじゃないかしら
と思うのですが。
仏教徒でないので、戒名がなくてはいけないとか
7日ごとに49日まで法要をしなくてはいけないとか
そういう制度が、どうにも息苦しいです。
それぞれに意味があって出来た「形」なのでしょうけど
仏教徒でない私には、制度としか受け止められず、制度はやはり息苦しいです。
でも、家族葬や市民葬といった、少し自由な告別式も増えてきましたね。
鳥葬も、林ばあちゃんの理想かも。
Commented by mihohakamata at 2011-10-02 09:50
今回も深いテーマですね。
地震以来、死後の世界のこといろいろ思い巡らしていましたが、
この世に残される身体についてはほとんど考えていませんでした。
うーん・・・

こちらではまだ土葬の方もいらっしゃいます。
一度、その場で演奏させていただきましたっけ。

死に対する考え方も人それぞれだと思いますが、
わたしにとっては、それは始まりのような気がするのです。
この世に残された方々の苦しみは計り知れないものがあると思いますが・・・

いろいろ考えるきっかけを作ってくださって
本当にありがとうございます。





Commented by t-haruno-2 at 2011-10-02 18:13
>mihohakamataさん
里山に通っていると、何十メートルもある大木が老木となって倒れ
やがて微生物に分解されて土になる様子がよくわかるので
ああ、野生動物も、こうやって静かに土にかえっていくのだな
と思い
そういう自然の循環の中にいられるのは、幸せなことに思えてきます。
とはいえ、
お葬式は、あとに残った人達の大仕事なので
後に残った人達のやりよいようにやってもらうのが一番なのでしょうけれどもねぇ・・・・・。

死後の世界があるのなら、
本当に、そこからまた始まるものがありますね。
mihohakamataさんがおっしゃるのは、おそらく精神世界のことで
私の考えている死後の世界 = 肉体が分解されてこの世界と一体になること
とは違っていると思いますが
「そこから新しく始まる」という意識は一緒です。
ここから、永遠に続くものが始まるんじゃないか、と思っています。


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