2013年 10月 02日

その49<バトンを渡せ>

a0119520_15541749.jpg


a0119520_15543480.jpg




a0119520_15544881.jpg




a0119520_15434119.jpg

a0119520_15553088.jpg




a0119520_15554516.jpg




a0119520_15561759.jpg




a0119520_1829771.jpg


a0119520_15564372.jpg

                                       つづく






稲わらで作るもの   わらじ、ムシロ、米俵、縄・・・・・・・・・

麦わらで作るもの   わらぶき屋根、麦わら帽子・・・・・・・・・

他にも、もっと色々あることと思います。
パンやパスタを食べる国なら、もっともっと麦わらの使い道もあるのかもしれません。

身近で手に入る材料を使い、
自分たちで作れる範囲の道具を作り、
暮らしを便利にしていた時代。

そんな時代があったことを、知ったからと言って何の得にもならないのかもしれませんが。
[PR]

by t-haruno-2 | 2013-10-02 16:05 | Comments(19)
Commented by sakko at 2013-10-03 00:26 x
藁屋根、ありました。
昔は農繁期に農繁休暇というのがあって
学校がお休みで麦刈りの手伝いをしましたよ
麦には麦ご飯にする麦と
粉にする麦があって、これはコムギといいました。
麦わらで小さな籠を編んで「グミ」を入れましたよ。
今でも編めるかな。
鹿も編めたなぁ。
籠は編めそうだが、鹿はもう作り方を忘れたな。
最近は麦を作っている家は殆どありません

米の秋にもお休みがあって
稲刈りの後、落穂拾いをしたこと
タニシを取ったこと
今日はいろいろ思い出しました
aki君に話してあげましょう。
実家は商家でしたが少し田んぼがありました。
私、田植えもしましたよ。
Commented by buribushi at 2013-10-03 09:13
魚沼の生家は茅葺き屋根でした。
急傾斜の屋根で、「ぐし」と言った、屋根の一番上をまず除雪すると、残りはどどーと落ちることもあったし、そうでなければ上から下へと順に雪掘りをして投げました。
私は子どもで、役にたたなかったけど、一緒に屋根に上がっていたのは見張り役でしたね、あとで思えば。
「ぐしが切れた」とたんに、雪といっしょに人がなだれて落ちることもあったから、一人での雪掘り(除雪)は危ないのです。

冬中何回もの雪堀りで屋根は傷み、春、ヤノヤサ(屋根やさん)が回ってきて補修しました。
新しい茅を小さく束ねたのを差し込み、あとを大きいハサミで刈り揃える。そのあとが点々と残りました。
それこそ、今の暮らしに何の役にも立たない事ながら、こんな暮らしがあったと、話して置きたい気もします。
Commented by mikeblog at 2013-10-03 14:39
藁は農家ではあらゆる事に利用していましたね。今でこそマットレスなんてかっこよく言いますが藁を柔らかく叩いてマットレスみたいなものを作ってそのうえに布団を敷きました。寝ると藁がミシミシ言うの、あははは。少し高くして温かく寝ようと言う知恵だったのでしょうね。ご飯を炊いた鍔釜をすぽんと入れるつぐらとか、いまでは懐かしいです。昔は資料館に住んでいたみたいでしたね。まわりがみんな民芸品でー。
家の屋根は茅か蘆で葺いてあったので夏休みの注意に「花火は家から離れたところで、・・・」なんて書いてありました。火事に注意ですね。今思うとみんな懐かしく思い出されます。今は藁は畑で使わせてもらっています。大束で安い直売所で買ってありますよ。
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-03 19:49
>sakkoさん
鹿?
動物の鹿ですか?
麦わらで、そういうミニチュアを編んで遊んだ
ということでしょうか。
素敵ですね。
笹で船を作ったり、ススキの葉で提灯を作ったり
そこらにあるもので、おもちゃを作って遊ぶのは最高ですもん。
黄色い麦わらの籠の中の赤いグミなんて
今なら、しゃれたカフェのインテリアですよ!

私がもの心ついた頃は、田んぼには農薬をたくさんやる時代になっていて
田んぼにタニシはいませんでした。
あれは、食べられるのですよね?
最近は、コンクリートの用水路に、タニシの卵がへばりついているのをよく見ますから、用水路にはいるんでしょうね。
でも、今どきの用水路の水で生きてるタニシ・・・・・・・・・食べられないですよねぇ。情けない。
aki君に、どうぞ話してあげてください。
きっと心の中に残って、aki君が親になった時、あふれ出てくるかもしれない。
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-03 20:29
>buribushiさん
ああ、やはり茅葺き屋根でしたか。
緯度が上がると、茅葺き率も上がりますね。
植生が理由なのか、それとも雪に耐えるのは茅葺きなのか。調べておきたいところです。
「ぐしが切れる」
ものすごくビミョウなバランスで、雪は屋根にのっているんですね。
積雪地域に暮らしたことが無い私は、そういうことさえ知りません。
ヤノヤサ。
プロの修理屋さんもいたんですね。
これも初めて知りました。
昔のものを何もかも肯定するつもりはありませんが
半径2キロくらいの土地で調達したもので、生活が足りていた時代。
その頃のことを知っておいて損は絶対に無いなぁ
と私は思います。
ガソリンが無くても人力で出来るとこって、こんなにあるとわかるし
自分の手で作れるもの、自分で調達できるものもいっぱいあるんだな
とわかるし
気持ちが楽になります。
なにより、職人さんって本当にすごいとわかるし。
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-03 20:42
>mikeblogさん
ああ、それで思い出しました!
私が小学生の時、体育で使うマットは、綿入りじゃなくて
藁入りでした。
長年の使用で角のところが破けて、藁がチョコチョコはみ出してましたっけ。
重かったなぁ。でも、今どきはポリエステル入りマットでしょうから、それからすると綿入りでも重いですよね。
「つぐら」。
赤ちゃんを座らせておく、今で言うベビーチェアも「つぐら」でしたっけ?
なんでも身近にある材料で作る生活が、ほんのちょっと前までは当たり前だったんですよねぇ。
米とか麦とか、
食べない部分があんなに大量に出るのだから
何か必要になったら、まず「藁で作ろう」となりますよね。やっぱり。
Commented by いちしんふたば at 2013-10-04 12:28 x
こんにちわ
情けない話ですが私、かなり最近まで萱という植物があるのだと思っていました。ススキとは別物だと。
昔の思い出話の中でほろりと出て来ることはあっても、当たり前ににみなが知っていたことを改めて教える場面(青子さんと林さんのような)がなかなかないように思います。
上手な竹ぼうきの作り方を知りたくてもホームセンターで外国産のものがワンコインで買えます。わら細工も竹かごも工芸品としてもっと普及してもいいのにと思います。
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-04 20:18
>いちしんふたばさん
こんばんは。
いやーーーーーーーーー同じです。
私も、ずっとススキに良く似た植物の茅ってものがあって、それだけ使って屋根をふいてる
と思い込んでいました。
白川郷の合掌集落の屋根の葺き替えって、TVのドキュメンタリー番組で見ましたが
あの茅の束の中にススキも入ってるとは、つゆ知らず
です。
漫画の中の青子のように、目の前で思いっきり勘違いを披露してくれないと
なかなか教える側のチャンスも無いですよね。

ホームセンターの竹ぼうきとか、干しザルとか、買う時は気持ちがすごく複雑です。
国内に、タップリ素材がありますのにね。
家庭菜園ブームのおかげで、農業資材として稲わらがお金になるようになったのは
まだまだ量は少ないとは言え、ちょっと嬉しくなる出来事でした。
Commented by buribushi at 2013-10-04 20:23
タニシの話題で思い出しました。
山古志村(いまは長岡市山古志)や、魚沼の小芋川(こいんごう、と発音)で錦鯉を飼っていますが、その池にはタニシが
とても沢山いました。
つぶして鯉にやったり、鶏にやったりしたようです。
昔、沢山とって水に入れておき、茹でて、取りだした身を味噌和えにした食べ物がありましたが、子どもの口に合うモノではなかったです。
Commented by RyugoH at 2013-10-05 13:17 x
知ってたことなのに、状況が違うと全く気づかなかった・・・。野良仕事してると、よくあります。実家が農家でもないし、先人の知恵に出会えるチャンスが今までなかったので、1人農業やさかいに自分で見つけていくしかないかなぁって状況。
茅葺や茅場は知ってましたが、恥ずかしながら藁葺きが麦、は知りませんでした(44で、笑)。
話しを変えますが、ちょびっとずつ保存食生活を進めております♪
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-05 15:20
>buribushiさん
中越地震の時、錦鯉の養鯉家のみなさんも、大きな被害を受けていましたね。
養殖数は、回復して来たでしょうか。
繁殖力旺盛なタニシと、食欲旺盛な鯉。
これはいい食物連鎖ですね。
色つやの良い鯉に育つことと。
でも、人間の舌にはもひとつ?
アサリやシジミのようには美味しくないでしょうね?
やはり、貝はイソモンの方が美味かな?
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-05 15:27
>RyugoHさん
私も最近です。
山間部の農家の次男だった父に、昔の農村の暮らしの様子を聞いていて、その中で「わらぶき屋根は小麦のわら」って(51で。ぎゃーーーっ!)。
積極的に聞くか、本で調べるかでもしないと
全然気づかないまま来ていたことって、山のようにありますね。
実践しながら発見して行ってるRyugoHさんは、すごいと思いますよ。
本当に。

保存食は、どんなものが出来ているでしょう?
またブログを拝見に参ります!
Commented by tanntannko1 at 2013-10-08 11:15
しらないことばかりで、へえ~とおもわず勉強になりました。
ぜーんぶ、お米のわらでできていると思っていました。

小麦のわらもお米のわらも、昔は生活にかかせないものだったんですよねー。

このまんがをみて、子供にも、わらのこと沢山教えてあげようとおもいます(^_-)-☆
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-08 20:58
>tanntannko1さん
香川県の農作物の主役は、やっぱりお米ですもんね。
麦も、よく見てたら結構麦畑も多いんだけど
麦刈りが風物詩ということは無いし。
農家の次男である父の話だと
昔は、米作った後、麦を作るって当たり前だったようですが
すっかり変わってしまったのですね。
身近にある材料で、あれも作れる、これも作れる
って知るのは、楽しいことだと思います。
ぜひ、話してあげてlください~。
Commented by 焚き火小屋の管理人です。。 at 2013-10-09 11:28 x
はなのさん、ありがとうございます。。 この「バトン」の意義、良くわかります。どころか、焚き火小屋の主としての自分がこの数年のどたばたの中に見失っていたものを、焚き火小屋をたずねてくれた青子さんに大テーブルの上にドンと置かれてしまった気分です。。(笑) そうですよね!われわれは「渡されて、手渡す存在」なのだろうし、それを意識する事こそが、人としての生き方にもっとも大切なことなのかもしれません。。 焚き火小屋も同じです。。 麗し美味し上津にあるものこそを縁あって隣に座ってくれた方に伝えたい。。 だからして、買って手に出来るレベルでは足りないのです。 無骨です。不細工です。しかし、ここにあるものこそを素材に作りたいのです。伝えてくれた先達に感謝しつつ。受け止めてくれる未来に夢託しつつ。。 つづきが楽しみです。。
Commented by 焚き火小屋の管理人です。。 at 2013-10-09 11:37 x
すみません!↑はるのさんがはなのさんになってました。。使い慣れないタブレットでのタイプミスです。。おゆるしを。。(笑)
Commented by t-haruno-2 at 2013-10-09 21:05
>焚き火小屋の管理人さん
ありがとうございます。
本当に、すべての人間は「渡されて、手渡すため」に生きているんだろうなと思います。
私は、長年のロック・リスナーなんですが、こう長い間聴いていると「完全にオリジナルな画期的な楽曲」なんて、絶対にありえないのですよね。
ブルースもロックもヒップポップも、すべては20世紀初頭のジャズにつながっているし
ジャズはアフリカの音楽につながっているし。
それから考えると音楽も、工業製品も、人の生活の知恵も
全部もう芋づるのように、昔とつながり未来へと向かうのでしょうね。
「子孫に美田を残す」という言葉は素晴らしいですが、
「子孫」にこだわるあまり、耕作放棄地だらけになっている今、「次の世代の人に」と解釈してくれれば・・・・・・・・・。

上手にバトンを渡すには、工夫も必要ですよね。
記憶に残る場と、土地の美味しい食べ物、直火を使うことから来る独特の時間の流れが揃った焚き火小屋は
本当に素晴らしい発想だと思います。
Commented by テリー横田 at 2013-11-19 20:41 x
はじめまして。数話面白く拝見させ居て頂きました。
私は福島の田舎でして、今ちょいと大変な状況で(苦笑)
でもまあ、長いスパンのうちには、回復するでしょうと思っていますが。
洋楽ロックとか、80年代の少女漫画、吉田秋生さんとか倉多江美さんとか
お好きなようにに拝察します。
面白かったです。ひそかに期待してまた来ます。m(__)m
Commented by t-haruno-2 at 2013-11-20 19:57
>テリー横田さん
はじめまして。
コメントをありがとうございました。
本当に、福島の山も田畑も、大変なことになってしまいました。
みなさん、どんなにやりきれない思いをされていることか・・・・・・・・・。
おっしゃるとおり、とても時間のかかることなので
はがゆいですが
いつかは、また、人の暮らせる土地となるよう祈っております。

それにしても倉多江美さんの名前が出て来たのには、ビックリしました。
70年代の少女コミック、80年代のLaLaを読んでいないと
なかなか出てこないお名前ですね。
他の誰にも真似できない個性が、とても素敵な方ですよね。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


<< その50 <世界遺産なんかにゃ...      その48 <バトル オブ 野の花> >>