2009年 06月 10日

その9  <青子>

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                                                 つづく






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里山の手入れをするようになってから、世間でやり取りされる言葉のいくつかに
大きな違和感を感じるようになりました。
<自然との共存>もそうなのですが、
同じくらい、ひっかかりを感じるのが、
<手つかずの自然が残る・・・・・・>。

旅行のチラシや、TVの紀行番組で、しょっちゅう目に耳にするこの言葉。

「本当に手つかずの自然なら、人間は住めやしないし、
旅行者が、のこのことそんなとこへ行けるわけがないだろーーー!」


と、この言葉に接するたびに、つい心の中で、ムキになって叫んでしまう私です・・・。

綺麗だなぁー
と気持ち良く居られる場所というのは、必ず人間が手を入れた所です。
イギリスやスイスの、絵葉書のような風景の村だって
本来の自然のままなら、そこは巨木の生い茂る、昼なお薄暗い山か森。羊だって飼えないでしょうに。

なだらかな丘陵地帯で羊の群れが草をはむ、イギリスの郊外の美しい風景。
でも、あの島国は、
もともとは、島全体が、
ロビン・フッドの住んでいたシャーウッドの森のような、深い深い森で覆われていたと聞きます。
そこを切開いて、人間が牧場にしてきた。
結果、今、イギリスには、森らしい森など、ほとんど残っていません。
世界有数の木材輸入国でもある国。

それでも、
TVや旅行パンフレットは、その風景を<手つかずの自然>と形容するのです。

広告会社やTV局や出版社は、イメージだけの言葉をたれ流すことが多々あります。

でも、
私だって、里山の手入れに関わらなければきっと、世界自然遺産の、どこかの山へ行って

「うわ~~~。手つかずの自然だわ~~~♪」

と叫んでいたことでしょう。

事実を知るということは、どんなことでも、大切なことだと思います。
人の作ったイメージにうかうかと乗せられ、流されないためにも。






ところで、
私は田舎の生まれ育ちで、近所の山を駆け回って遊んでいたのですが、
その土地では、グミ全般のことを「しゃしゃび」と呼んでいました。
なので、
私は、ごく最近まで、「グミ」と「しゃしゃび」は別のものだと思い込んでいたのです。

いや、だって、「グミ」と「しゃしゃび」じゃ、違いすぎるでしょう??????

「ググミ」とか「グミミ」とか呼ばれていたのならともかく。

ですから、「よく似ているけれども全然違う植物なんだ」と信じ込んでいました。

子供時代、身近にあった植物や昆虫、魚などは
今も、その土地の言葉でのみ覚えていて、
全国共通の名を知らないってことが、きっとたくさんあるのでしょうね。

しゃしゃび。
あまり「当たり」の実に出会ったことがなかったのか、記憶の中のその実は、とにかく渋くて酸っぱい。
思い出すだけで、口の中にジワ~~~ンと、あまり嬉しくない唾液がわいてくるほどなのです。






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by t-haruno-2 | 2009-06-10 15:26 | Comments(6)
Commented by kuroo at 2009-06-11 14:41 x
青子ちゃんのつぶやきと、はるのさんのぼやきが重なって素晴らしいガス抜きになりました。
まったくその通り、と遠くから相づちを打っております。
それにしても、難しいテーマですね。
世間一般ではエコだとか、環境だとか、自然を残そうだとか耳に柔らかい言葉ばかりが流れている訳で・・・
「そんな訳ないじゃないか!」とドンキホーテが叫んでいるようで、頼もしいです。
ずっと叫び続けましょう。応援してます。
Commented by t-haruno-2 at 2009-06-11 19:49
>kurooさん
ありがとうございます。

耳に柔らかい言葉ばかり流すTV局や出版社は、金儲けのためだけに「自然」や「エコ」という言葉を使っているのではないか・・・という雰囲気が感じられて、どうしても反発してしまいます。向こうは商売。私も大人げないなぁと思うんですが・・・。(お恥ずかしい・・・)
里山の手入れを続けていて、つくづくこれは「子供がカブトムシを採りに来れる山、山菜採りが出来る山を残したい」という私のエゴなんだなぁ、と感じます。
その分、自然も、こちらに容赦しないし、傷つけてくる。
でも、その難儀な相手を、私は心から大切だと思うし、畏れ敬ってもいます。
これからも、自分のエゴイストの部分を自覚しつつ、里山と向き合っていきたいと思います。
ミュージカル「ラ・マンチャの男」では、最後には、ドンキホーテの志を皆が理解して、「見果てぬ夢」を歌ってくれるのでしたっけ・・・ね?
いつか誰かに、この思いが届くことを信じて、はい、叫び続けようと思います。ありがとうございました。
Commented by sakko at 2009-06-12 07:31 x
自然がそのまま・・・いい言葉ですが。
本当の自然って、あの屋久島の杉にだって人の力がはいっているのですから・・・。
今回はなかなか難しいテーマですね。
「共存」の意味も難しいです。

グミのことを「しゃしゃび」と云うのですか。
私のところでは「ごみ」といいます。
これも懐かしいですね。

青子さんちのドアの前、可愛いごん狐からの送りもの
「自然を守ってくれて有難う」
おばあさんの田圃を守ってくれてありがとう・・・・
この子達は一体何処から来たの?何者?
続きですね
Commented by t-haruno-2 at 2009-06-12 16:28
>sakkoさん
「共存」という言葉を手元の辞書で引くと、「異質のものが、そろって存在すること」となっていて、
この辞書の意味だけだと、確かに里山って、そうですよねぇ・・・。
でも・・・、TVや雑誌で描かれる「人と自然の共存」って、
なんだか「ものすごくバランスの取れた美しい共存」のように描かれている気がして、
どうーーーにも納得がいきません・・・。
おっしゃるとおり、屋久島だって、人がどんどん杉を伐って売って来たのだし、
今、屋久杉を観るルートだって、人が楽に行けるように整備されているし。
この共存は、人間の側の、ものすごいエゴを押し付けた「共存」で、そのことを自覚しないといけないんじゃないか
って気がしてます。

ところで、「ごみ」ですか?
奈良とこちらでは、随分と固有名詞が違うものですねー!
今は、橋を渡って3~4時間で行き来できる場所ですが、昔は行き来する人も少なかったでしょうね。
それでこんなに古い言葉が違うのかな。
面白いですね。
Commented by mikeblog at 2009-06-14 09:15
いつもニャンコが出演して楽しませてくれます。
そうなんです。最近は田圃も放棄されているところがあって、
2年もすると雑草がはびこって使えなくなってしまうそうです。
自分でできないのでそれを責める資格のない私です、トホホ。

桑ズミ、かな?
Commented by t-haruno-2 at 2009-06-15 20:46
>mikeblogさん
耕されなくなった田圃が、元の山に飲み込まれて行くようですよね。
あっと言う間のことで、
恐ろしいほどです。
ミケさんは、畑を借りてらっしゃいますが、それ、農家の農地なんでしょう?
だったら、ミケさんが家庭菜園をすることで、耕作放棄地が減っているということでは。
自分でできない・・・なんてこと無いですよ。放棄地を助けてると思います。
そういえば、どこの市民農園も、何倍もの申し込みがあると聞くし
だったら、もっとバンバン貸し出してくれないかなぁ。農地を。
耕作放棄するくらいなら、なんて思います。
貸すのも、また色々とややこしいのでしょうけど・・・。

桑ズミですか?
グミのことを?それとも、桑のことでしょうか。
方言って、ホント面白いですね。


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