山の子

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2009年 08月 25日

その12 <お盆のお団子>



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私の父の実家は農家で、
幼い頃、お盆のお墓参りに行くと、祖母と叔母は、必ずあんこでくるんだお団子を出してくれました。
冬に訪ねた時には、小豆がたっぷり入ったぜんざいを。

時は、日本の食文化が音をたてて変わりつつあった高度経済成長期ですから、
正直な気持ちを書くと
あんこのお団子や、ぜんざいは、幼い私には魅力的ではありませんでした。

よそのお宅へお客さんで行った時には、
ショートケーキやクッキー、ゼリーなどなど、洋菓子でもてなされるのが普通となった時代です。
また、私も子供だから、
そういう洋菓子が、すっごく嬉しかった。

なので、父の実家で、お団子やぜんぜいを、パクパク!舞い上がって食べた記憶はありません。
あまり嬉しそうな顔は、していなかったかもしれない。
今となっては、
祖母や叔母に申し訳なかったなぁ
と思っています。

砂糖をたっぷり入れたあんこやぜんざいが、一番のご馳走。
祖母は、きっとそう考えていたのでしょう。
本当に、申し訳なかったな・・・・・・。



漫画では、このお盆のお団子、
「こしあんをたっぷりぬって・・・」
と描いていますが、
記憶をたぐれば、あんの中に、チョコチョコッと小豆の皮が混ざっていたような気もします。

もしかしたら、つぶあんだったのかしら・・・・・・・・・?

今は、もう、祖母も叔母もなく、
真実を確かめるすべもありません。

今、食べたら、きっとすごく美味しいはずなのに。
お盆のお団子。









戦争について、私は、自分の親や祖父母、親戚から、具体的な話を聞いたことはありません。
子供の時も、今も。
一度、仕事で戦争中の話を描くことがあり、
その際、
両親に、かなりしつこく当時のことを聞きましたら、さすがにその時は答えてくれましたが。
でも、
それ以外では、自分から戦争の話をしてくれる年長者は、身近にはおりませんでした。
今も、おりません。

ですから、戦時中のことについては、
本やTV、映画などで知ることになるのですが、
子供の頃、読んだり観たりしたものは、主人公が空襲にあったり、原爆にあったり、
大変に怖く、悲しいものばかりだったような気がします。

<戦争=怖い>
子供時代の戦争のイメージは、私にとっては、そういうものとなりました。



しかし、大人になるにつれ、そのイメージは変わってきます。

いかに国家が、国民を戦争の道具として、粗末にあつかっていたか

大人になって知るようになった先の戦争の姿とは、そういうものでした。

「戦争はイヤだ」
というひと言さえ言えない時代。
言えば、刑務所に引っ張られ、拷問さえされる時代。

子供達には、
お国のために戦争に行くことが、一番立派なこと
と、幼少の時から徹底して教え込み
予科練などに志願する子供を、いっぱい作った時代。

また、その子供の数を増やすために、「産めよ増やせよ」と、国民に命令した時代。
兵隊の数を増やすために、子供をたくさん産め
と言われた時代を想像すると、
血液の温度が下がりそうな恐ろしさと違和感を感じます。
と同時に、腹の底からわき上がってくる怒りも。



でも・・・・・・・・・
私が、その当時、大人だったなら、「戦争反対」を言う勇気もなく、竹やり訓練に参加していたことだろう
と思います。

そして、子供だったなら。

私は、小学校卒業の頃までは、大変にものわかりの良い優等生でしたので
          (夏休みの宿題のワークブックを、7月中に仕上げるような)
間違いなく、とても優秀な軍国少女になっていたことでしょう。
戦地の兵隊さんへの慰問の作文を、実に立派に書き上げ、校長先生にほめられるような子だったはず。

それが、まるで目に見えるようにわかるだけに
「ものが言えない時代」
「国家に、戦争のツールにされる時代」
は、二度とごめんだ!と思うのです。



この国で8月6日に何があったかを、「知らない」という10代の若者が出てきていると聞きます。
太平洋戦争で、日本と戦ったのがアメリカだ、ということを知らない沖縄の高校生もいる、という話も。

そういう話を聞くにつけ
あの時代がどういう時代だったのか
知っていかねば
と、
歳を取るほどに、強く思うようになっています。






      このブログ上の漫画、文章の著作権は、すべて高橋はるのにあります。
      無断での転載、転用はご遠慮願います。

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by t-haruno-2 | 2009-08-25 16:33 | Comments(6)
Commented by yasai at 2009-08-26 15:48 x
所変われば品変わるですけど、お盆やお彼岸にお供えするものは昔からある素朴なものばかりですよね。
お団子、お饅頭、おはぎ、干菓子なら落雁など。
戦時中は食べるものがなかったという話は、よく聞かされます。
農家でも畑をたくさん持っている家は、なんとか食べることができたそうですが、畑も少なく、ろくに食べられなければ病気になる人も多かったそうです。
今では食べ過ぎが心配な時代になってしまい、ご飯の時に、まさかこういう時代が来るとは夢にも思わなかったと、この頃しみじみと言っています。
配給で年一回「ちくわ」が来るだけだったとか、そういう話は今の若者には想像すらできないんだろうなあ。
食べることは命に直接かかわることですけど、食うや食わずで戦っていたんですよね。
Commented by kuroo at 2009-08-26 17:42 x
こんにちは
お盆に団子を食べる風習があったんですね。面白いです。

戦争の話は確かにきちんと教えられていない気がします。
それだけに、自分がその事にどう向き合うかを試されているような気もします。
山里の記憶で多くのお年寄りの話の中にその影が出てきます。
恋人が戦死し、全然知らない別の人と結婚させられた話。
結婚した夫が式で会っただけで事故死してしまった人の話。
結婚して2週間で夫が出征、親兄弟の世話を一人でみた人の話。
などなど枚挙にいとまがありません。今の常識では考えられない事ばかりです。
戦争を考えるにも想像力が必要になりそうです。


Commented by t-haruno-2 at 2009-08-26 19:45
>yasaiさん
年に1度のその竹輪が、きっとものすごく嬉しかったでしょうね。
yasaiさんのお父様やお母様は、そういう時代をよく覚えておられるのですね。
本当に、食に関して、この国は、信じられないような変わり方をしてしまいました・・・。
栄養失調で亡くなる子供がいなくなった、というのは良い変化ですが・・・。
でもねぇ。メタボ検診なんて。
私の義母の実家は、田んぼ持ちだったので、義母は、戦時中も白米ばかり食べていたそうです。
信じがたい話なんですが、そういう家は、少数派でしょうね。
でも、そんな義母も、戦争で父親を亡くしてしまいました・・・。
食糧の多くを輸入に頼っているこの国では、今、戦争が起これば、きっと同じことが繰り返されますよね。
なので、若い人達には、太平洋戦争中、どんなに国民が犠牲を強いられたか
知る努力をして欲しい、と思っているのですが・・・。

お月見には団子。お彼岸にはおはぎ。
本当に、これらは変わりませんね。
カボチャのプリン・・・なんてのが出てこない、素朴さにホッとします・・・
と言いつつ、お盆のお団子が嬉しくなかった、子供の頃の私でした。あはは。
Commented by t-haruno-2 at 2009-08-26 20:04
>kurooさん
こんばんは。
秩父では、お盆にはお団子は作らなかったですか?
これは「とりつけ団子」と呼ばれる団子で、団子のまわりにあんこをラフにまぶすようにつける団子なのです。(あんの量が少なくてすむからかな?)
とりつけ・・・の意味は知らないのですが、香川県や愛媛県では、お盆の団子と言えば、これです。

身近な家族には、皆さん、戦争のことを語りたがりませんよね。
つらいことを思い出したく無いでしょうし、
「相手は、そんな話を聞きたがらないだろう」と考えたりして。
でも、家族以外なら、話される方もいらっしゃいますね。
TVのインタビューなどでも、「家族には言ったことが無かった」と、戦争体験を話される方がいらっしゃいます。
真剣に聞いてくれる人がいると、話そうという気持ちになるのでしょうね。
「山里の記憶」の皆さんも、本気で聞こうというkurooさんがいて
さまざまなことを、飾らずに話してくださるのでしょう。
自分からは話さない人から、聞きだすというのは、ものすごく大切な作業だと思います。
そこに戦時中の話がチラホラと混じってくるのは、とても大切なことに思えてなりません。
Commented by sakko at 2009-08-27 20:36 x
お盆にあんこのだんごをお供えする・・・・・
その土地、土地で変わった風習があるのですね。
お盆に美味しいものをお供えする・・・分かるような気がします。

私は小学校1年生と時、終戦を迎えました。
田舎だったし直接には被害が無かったし、親戚のものも
戦死していないので、防空壕に入ったことしか覚えていません。
でも原爆のこと、ひめ百合の塔のこと予科練のこと・・・・
お国の為、天皇陛下万歳と叫んで死んで行った若き人たち
2度とあってはならないという思いは変わりません。
Commented by t-haruno-2 at 2009-08-28 20:03
>sakkoさん
あ。奈良でも、お盆のお団子って作らないですか。
結構、地域限定の風習のようですねー。これは。
昔は、あんこって大変なご馳走だったでしょうね。
それを、ご先祖さまに是非供えたいという気持ちが、美しいですよね。

お国の為に死ぬことを、もう2度と美化して欲しくない
ですよね。
徹底して美化して、国が、国民を消耗品としてあつかったあの時代。
たった70年そこら前の話。
なのに、「もう70年も前の・・・」という感じで
忘れ去ろうとしている人達が、どんどん増えている気がしてなりません。
本当に。2度とあってはならないことなのに・・・・・・。


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